地方ほのぼの新聞
生活人語
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<新型コロナウイルスとミュージカル>

 新型コロナウイルスが我々市民の生活を脅かしている。このニュースを聞く度に、日本の今後を、私は憂えてしまう。そして、昨年11月に公演した自作ュージカルの内容が、もっと早く、多くの市民に理解されていたら良かったのになあと、つくづく思う。
ミュージカルは、この混迷した社会を解決するヒントを纏めたもので、架空の来夢来人市(ライムライト市・・・以下R市)をモデルにし、次のような内容であった。

 R市は、マズローの人間の欲求説をベースに、食の確保や身の安全など、人間が生きていく上で大切なことは、現実の行政が徹底的に行ない、教育や福祉など、どんな生き方をするのか答えがいくつかある分野は、民間が行うという基本方針を議員立法で定め、市長はその上で政治をしていた。このようなことが可能になったのは、NPO活動の活発化などにより市民意識が向上し、コミュニテイー連合体(小さなコミュニテイーの集まり)が徐々に増えていった結果、IT基本戦略(20年前に政府が発表)で唱えていた電子政府(市民の幸せが増えれば儲かる会社)を、市民の力でつくれるのではないかと市民が気付いてきたからであった。そこで、R市の成果を全国に広めるため、市長に総理大臣になってもらうことを関係者が要請するが、市長は「私は年齢的に無理だ」と言って断わる。しかし、サムエルウルマンの「青春」という詩(青春とは人生のある期間ではなく・・・)を聞かされ、市長はその気になってミュージカルは終わる。

 新型コロナウイルスに対する対応は、まさに人間の生死に関わることである。そこで上記R市のように、行政が徹底的に対応しばければならないが、現実の政府は、後手後手のように思えて仕方ない。この原因を厚労省関連で言えば、やらなくてもいい次のようなことを、多くの人件費をかけてやり続けていたことも原因の一つであろう。処遇改善加算事務、情報公表制度、主任ケアマネ制度、各種研修会・・・(説明省略)。また、政府のこれまでの次のような対応も頭をひねるばかり。森友問題、加計問題、桜を見る会問題、果ては、民主主義の根幹を揺るがす検事長定年延長問題・・・。まさに「法治国家」ではなく「法無国家」。これでは立法はいらない。与党も野党も。しかし現実の混乱は、現実の立法と行政に頑張ってもらうしかないが、将来的には上記R市のような、市民の意識が重要。一人ひとりの市民が「人間の本当の幸せとは何か?」を自覚し、自立し、コミュニテイー連合体となって市民が力をつけていけば、社会は根本から変わっていくような気がする。上記ミュージカルでチャップリン役が言った。人間が生きていくには「愛と勇気と少しのお金」。上記ミュージカルの真意を、多くの人に伝えたい。

 ミュージカルの詳細は、ユーチューブ検索画面にて「想い出ミュージカル」と入れてご覧下さい。写真は、フイナーレで私が挨拶をしたあと、チャップリンより花束を受け取っている場面です。H.U

2020/03/05
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「チャップリン」と「チャンス」

 C&Cクラブ十周年記念ミュージカルの初公演から、早いもので、もう三年が経ちました。活気に充ちた日々を懐かしく思い出しながら、チャップリンの人生をネットサーフィンしていたところ、感動的な言葉に出合いました。
ネット上の内容をそのまま掲載しますので、ご一読頂ければ幸いです。

真山知幸著『君の歳にあの偉人は何を語ったか』星海社新書 2012/3/23発行より

 チャップリンは6歳にして貧しい人々の施設「貧民院」に入所したため、まともな学校教育を受けることができなかった。
芸人だった父は酒乱で、チャップリンが1歳の時に離婚。
安いアパートの屋根裏部屋での生活は、母の歌手としての収入だけで成り立っていた。
チャップリンが始めて舞台に立ったのは5歳のとき。
急に舞台で声が出なくなった母が、観客からの激しいヤジで袖に引っ込まざるを得なくなり、その代役として舞台に送り込まれたのが、そもそもの始まりだった。
わずか5歳で舞台に立たされるなんて、緊張して泣き出してもおかしくない状況だが、チャップリンはオーケストラの演奏をバックに、当時流行していた曲を堂々と歌い始める。
歌の途中で、客席からお金が次々に投げ込まれると、チャップリンは「お金を拾ってからつづけます」と歌を中断してお金を拾い始めた。
すると観客は大笑い。
その後も、ダンスからモノマネまでエンターテイメントの才能を発揮した。
母の喉は回復することはなく、この舞台を最後に引退。
生活はさらに苦しくなり、仕送りを気まぐれに送ってきていた父親も37歳で他界してしまう。
その後、母も病に倒れるなど、次から次へと人生の困難が、若きチャップリンに降りかかってきたのだ。
チャップリンは自伝で、次のように書いている。
「新聞売り子、印刷工、おもちゃ職人、ガラス吹き、診療所の受付、等々と、あらゆる職業を転々としたが、その間も、俳優になるという最終目標だけは、一度として見失わなかった」
チャップリンは仕事と仕事の合間に、俳優事務所を訪ね歩いていた。
いくつかの寸劇を行ないながら、大きなチャンスが巡ってきたのは、17歳のときだ。
イギリスの劇団のオーナーから『フットボール試合』という芝居で、ハリイ・ウェルドンという当時人気を博したコメディアンと同じ舞台に立つチャンスを与えられたのである。
「どうだ、『フットボール試合』でハリイ・ウェルドンの相手役がやれるかね?
突然、転がり込んできたチャンス。
チャップリンは戸惑うことなく、堂々とこう答えた。
「ええ、私に必要なのは、チャンスだけです」
オーナーも初めはどこまでやれるのか半信半疑だったが、2週間のテストの結果、チャップリンは見事合格した。
主演を完全に食ってしまうほどの活躍ぶりで、評論家たちはこぞってチャップリンを絶賛。
大型新人の登場は、大きなインパクトを与えた。
チャップリンが秀でていたのは、いつでも「チャンスさえあればやれる」ように準備をしていたことだ。
さまざまな職業で生活資金を稼ぐ一方で、舞台で場数も踏み、経験を積んでいた。
環境や他人のせいにすることなく、ただ自らの才能を信じて前に進み続けたのである。

【人の心に灯をともす】http://merumo.ne.jp/00564226.html より

急に舞台の主役が倒れ、急遽、主役の代役ができるのは、主役のセリフと演技を覚えていた人だけだ。
「幸運とは、準備がチャンスに出合うこと」(オプラ・ウィンフリー)
チャンスは、夢や希望がない人にはやってこない。
夢や希望がなければ、チャンスがやってきても、それに気づかないからだ。
そして、チャンスに気づく人は、失敗を恐れず夢に向って行動する人。
「必要なのはチャンスだけ」
将来の夢に向ってコツコツと準備を整え、必死の努力を重ねたい。

2012/11/04
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