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7月5日(土)の予定 他(雑感)

(1)本日のカルチャーは気功太極拳です。

(2)鹿児島の離島で地震が頻発しているようです。そこで思い出すのは東北大震災。あの時、私は、今日行う気功太極拳の会場である八木北小学校体育館の横の道を車で走っていました。私は車を停めました。目の前の電信柱の揺れが想像を絶し、あの電信柱が倒れて車に直撃したらと一瞬思いました。こうして今でも私は生きていますが、この地震での被害はその後のメデイアの報道の通り。津波、原発・・・。天災はどうしようもなく、しかし、この備えは官民揃って必要と思いつつも・・・。HU

2025/07/05
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ある交通事故と憲法

 仕事から戻り、借りている駐車場に車を入れようとすると、若い男女の警官が3人、駐車場の周りに集まり取り調べをしていた。駐車場には、警官が乗る巡回用の小さなオートバイが3台停まっている。私が「ここに(私の車を)停めたいんですけど」というと、直ぐに移動してくれた。そして直ぐに事故処理を終えると、オートバイにまたがり帰って行った。その帰る際、私は警官の一人に聞いた。「どんな事故だったんですか?」と。いつも通る道なので、事故のパターン(例)を知り、私も気をつけようと思ったからである。警官の話を聞くと、直進しようとする車と左折の車が接触したらしい。よくあるパターンの一つであると私は思った。

 その日の夜、自宅のパソコンで自民党の憲法草案を見た。この中に「家族は互いに助け合わなければならない」との条文があった。しかし家族にもいろいろなパターン(例)がある。上記の交通事故に例えると「国民は交通事故を起こしてはならない」と同じような条文ではないか。このような条文を新設して、わざわざ憲法に入れる必要があるのだろうか。虐待された親の面倒も、具体的な法律で規定するのだろうか。そもそも家族の問題は道徳の問題であり、道徳は心の問題であり、心の問題は国が関与する範疇ではないと私は思う。そこで憲法を改正するならば、家族が助け合うためにはどうしたら良いかの仕組みづくりのベース(憲法)を、我々国民も含めて考えるべきではないだろうか。憲法は我々国民を義務づけるものではなく、我々国民を権力から守るものであって欲しい。交通事故の現場で、交通事故の一つの例を、優しく教えてくれた若い警官(権力)のオートバイ姿が頭に浮かぶ。H.U

(写真は三台分借りている駐車場です)

2016/10/26
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