地方ほのぼの新聞
生活人語
不定期更新

11月23日(土)の予定 他(雑感)

(1)本日のカルチャーはありません。

(2)大谷選手がMVPに輝きました。そのコメント「チーム全体のメンンバーで貰ったもの
   」とのコメントが素晴らしい。私も、社会全体のことを考えてNPO活動しているが、
   その考え方をなかなか普及させられない自らの無力さが悲しい。HU

2024/11/23
トピック
個人ブログの記事を紹介

臓器移植

改正臓器移植法が成立した。この問題が取り沙汰される度に、感慨深く思い出される体験がある。表裏一体の「生と死」の難題は、自分に置き換えて考えるほど、確たる答えは遠のいていく・・・

かつての職場で、重い心臓障害のため、移植以外救われぬ、長女を抱える友人がいた。勝気さを秘めた内向性ゆえに、多くを語らなかったが、医学の進歩に望みを託した執念の鬼!さながらの、強烈な(母)親心を見せつけられたものだった。
やがて病院前に転居し、祖父母のカンパで渡航したものの、ドナーが現れず、無念の帰国。暫く入っていた情報…<長女は、苦労して医学部入学を果たしたが、体力不足で書道へ転向。「僕が治してあげる!」と約束してくれた同級生の医師と結婚したこと。妹弟も医療関係の仕事を選んだ等>も、途絶え、40代になっている筈の、長女の安否が気遣われる。不運にめげず(だからこそ)頑張り抜いた一家の肖像は、ずっと生きる証しを発信しているかのようである。

そして「脳死」。なんと重く、残酷な言葉であろうか・・・37年前の秋、夫は大阪の専門病院の待合室で倒れ、3日後に急逝した。脳死の宣告を受けてからも、スポーツマンだった強靭な心臓は、丸1日動きを止めなかった。カナダからの末弟と、無言の対面を終えるまでは…
まだMRIのない時代、原因究明のため、脳の解剖を主治医に懇願され、賛否渦巻くなか、私に委ねられた決断(遺体を傷つける行為)は、後あとまで身内に禍根を残す結果となった。病名は、手術不可能な脳幹部腫瘍、と判明。
3歳と10代の若者の交通事故死の時も、臓器摘出なぞ論外!!の悲惨な状況であった。
実家の母も脳血栓で意識を失い、脳死が先行した。最後に駆け付けた親不孝者の必死の呼びかけに、三途の川辺で流した、ひとしずくの涙の奇跡!?温もりの感触を、どうして断ち切れようか・・・
脳死から心肺停止までの期間は、小児ほど長いそうである。年齢制限を無くし、15歳未満の子に、国内での道が開けたことは、朗報に違いないが、一律に「脳死は人の死」とした前提には、疑問を抱かざるをえない。
意思表示の有無にかかわらず、家族に苦渋の選択を強いる、計り知れない影響力、ケアの大変さは、実感するまでもないこと。救急医の倫理の確立や、医療体制の充実などなど、識者の指摘は鋭く、ひとつひとつ胸に迫ることばかりである。
審議不足で、大きな課題が残る以上、理解者は増えないともいわれている。時間勝負で待ちわびる人たちのために、政治家には、双方がらみの柔軟な姿勢で、真剣に取り組んでいただきたい。
話は逸れるが、仏教王国ブータンでは、生存中は大事にされるが、死後は1個の物体として扱い、「鳥葬」で、高い山の岩に打ちつけ、砕いた骨を楽器に。頭蓋骨はお椀として身に着け、使うそうである。
また、親しい医学部元教授の「絶対に献体しない!」意味深発言から、連想させられる現場とは??
お国柄や、日本人の死生観はそれぞれでも、“みとり”は誰もが直面する場面。今、クローズアップされている数々の問題点に、人として立場を換え、想像力をかきたてながら、関わってみたい気持ちでいる。
単純・素朴な、せめてもの願い…(法律化は無理でも、善意の提供者が、命の行方をそっと見守れる権利が認められたなら? 救われた本人や家族が、次は、健全な目の一つでも役立てられるような、命のリレーへの淡い期待?)は叶えられないものだろうか・・・
必ず訪れるその時に備えて、尊厳死も含め、あれこれ思いあぐねるこの頃である。

2009/07/16
ほのぼの写真

『作品集 美の恵み...

撮影場所:
2024/10/28