11月27日(水)の予定 他(雑感)
(1)本日のカルチャーはレクダンスです。
(2)生活人語を更新しました。難しい内容ですが、私がNPO法人を設立した動機などを
シリーズで纏めておりますので、少しでもご理解して下されば幸いです。
この「地方ほのぼの新聞」と称する独自SNSを始めた頃は、毎日、投稿しておりました
が、やがて加齢と共に週に1回、そして随時と、投稿回数が減ってしまいました。
しかし、まだ、こうして投稿できることに感謝しなければならないと思っています。HU
或る中国人から・・・
中国人Aさんが、介護の新しいご利用者になった。私共のNPO法人がボランティアとして中国語学習を行っているため、地域包括支援センターから紹介があったからである。Aさんの事をここで詳しくは書けないが、私はAさん、そしてその息子さんと接し、中国人のイメージが変った。いや、変ったというよりも、人間一人ひとりは、何処の国の人であろうと、個々に形成されると思ったのである。Aさんは気遣いがあり穏やかで優しい人であった。息子さんもAさんに似ていて、仕事の傍ら、父であるAさん、妻(出産したばかり)、そして、ガン手術を終えたばかりの母(Aさんの妻)のために頑張っていた。そんなAさんの介護のため、ケアマネもヘルパー(3名)も中国語の教科書を買ってきて勉強を始めた。これからは、この分野もグローバルな時代になるだろうと私は思った。
先週末、NHK・BSでドラマ「大地の子」(故山崎豊子作)の再放送を観た。日本敗戦後、中国で戦争孤児となり、厳しい環境の中、自分を守り育ててくれた中国人の両親に感謝しながらも、日本に住む血の通った父親と会い、生みの母親(死亡)の写真を見て涙を流す主人公。私はこの場面を観て目頭が熱くなった。一方、育ての父親(中国人)が、上記のAさんのように思えて複雑な気持ちになった。一緒にテレビを観ていた妻が、国に翻弄されながら生き続ける主人公の姿を観て「国って何だろうね」と言った。グローバルな時代になると、尚更、国について疑問に私も思う。そこで今こそ我々市民一人ひとりが、国について真剣に考え直す時期にきているのかもしれない。問題はこの時「国があって我々がある」のか「我々があって国がある」のかであるが、今の政府は、前者が強過ぎるように思うのだが・・・。H.U
(本記事はfacebookの私のウオールにも掲載しました)
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