11月27日(水)の予定 他(雑感)
(1)本日のカルチャーはレクダンスです。
(2)生活人語を更新しました。難しい内容ですが、私がNPO法人を設立した動機などを
シリーズで纏めておりますので、少しでもご理解して下されば幸いです。
この「地方ほのぼの新聞」と称する独自SNSを始めた頃は、毎日、投稿しておりました
が、やがて加齢と共に週に1回、そして随時と、投稿回数が減ってしまいました。
しかし、まだ、こうして投稿できることに感謝しなければならないと思っています。HU
朝日新聞の「声」欄で気が付いたこと
先日の朝日新聞の「声」欄にスーパーマーケットでアルバイトしている大学生の投稿があった。いつも値引きの時間にやって来るおばさんが「これもう少し安くなるわね」と値切るのだそうだ。彼はいつもずいぶんけちな人だなーと思っており、もちろん良い感情は持っていなかったようだ。だが、彼が店を休んだ日、そのおばさんがやって来ていつものお兄さんはどうしたのかと尋ねられたとのことを聞き、お客様への心使いをもっとがんばろうと思った、というような内容であった。私はこれを読んで姜尚中氏の「悩む力」の中で、「人が働く」という行為の一番底にあるのは「社会の中で自分の存在を認められる」こと、そして「他者からのアテンション(ねぎらいのまなざしを向けること)」や「承認のまなざし」は、家族ではなく社会的な他者から与えられる必要がある、などと書いてあったことを思い出した。やはりそうなのだ。今はどこに行っても大型スーパー。店主の顔が見えない。大量生産大量消費の時代、効率ばかり重視しており、お客とのコミュニケーションは必要最低限度。店員は速度を要求されており、お客も店員とのコミニュケーションなど期待していない。だからサービス業が今徹底的にマニュアル化され、人はロボット化していく。ロボット化された若者たちは使い捨てになり、将来の夢もなく孤独に陥ってしまうのではないだろうか。同氏によると「コミュニケーションには形がなく、しかもケースバイケースである為、肉体も神経もフルに使うことになり過酷であるが、そこから何かをもらえる可能性が無限にある、とのこと。娘の住む京都のある街で、昔からある小さなマーケットでレジを待っていた時のことである。その店の店主が「すいませんなー、お待たせして」と、本当に悪そうに声をかけてきた。少々待たされてはいたが、その声ですっかり気持ちが良くなり、笑顔で「いえいえ」と答えた。家に帰って娘にそのことを話すと、娘もあの店は地元の野菜を安く売っているし、子供にも声をかけてくれ、とてもフレンドリーだとのこと。しかし駐車場がなく、どうしても大型スーパーの方へ行ってしまうのだと言う。何もかもが忙しい時代なのだ。もっと昔のように、人と人がゆっくりコミュニケーション出来る時代に戻れないものだろうか。それには分断された人と人とが、勇気をもって手を伸ばし、助けを求めたり、手を差し伸べたりしなければ、この社会はぞっとするような冷たい世界になってしまうような気がするのですが?
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