地方ほのぼの新聞
生活人語
不定期更新

11月27日(水)の予定 他(雑感)

(1)本日のカルチャーはレクダンスです。

(2)生活人語を更新しました。難しい内容ですが、私がNPO法人を設立した動機などを
   シリーズで纏めておりますので、少しでもご理解して下されば幸いです。
   この「地方ほのぼの新聞」と称する独自SNSを始めた頃は、毎日、投稿しておりました
   が、やがて加齢と共に週に1回、そして随時と、投稿回数が減ってしまいました。
   しかし、まだ、こうして投稿できることに感謝しなければならないと思っています。HU
   

2024/11/27
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私が選ぶ政党と人(3)

 前回のブログでA土俵、B土俵という考え方を述べた。今の行政システムは、A土俵の中で、A土俵のこともB土俵のことも行政が行っているため、行政システムが肥大化し、複雑な行政システムになってしまっている。それは、宅急便システムを開発するまでの、某運送会社の古いシステムのようなものだ。その古いシステムを官僚主導で動かしてきたのが、かつての自民党政権と政権交代後の民主党政権であった。要は、政治主導にて、地に足のついた行政改革と財政再建を両政党とも出来なかったということである。では他の政党に出来るだろうか。脱官僚では、全政党が一致している筈だ。しかし全政党とも、それは出来ないと断言していい。道州制で霞が関の権力を分散するという主張もある。しかし出来る訳がない。どのようにして境界線をつくるのか?結局は、権力闘争になってしまうだろう。しかしB土俵ならばできる。その手段は、バーチャルリアリテイーの考え方とSNSである。歩いて、自転車で、車で、30分程度の市民が小さなコミュニテイーをつくり、仕事、ボランテイア、また助け合いもしながら生き、有料制SNSの会費を、税金若しくは保険料のように考えて徴収し、それを財源としてコミュニテイーのシステムを各々のコミュニテイーが競争でつくり、またコミュニテイー同士で電子商取引もできるようしてコミュニテイーソフトを充実させ、量的に拡大していくのである。その結果はソフト的な道州制となり、それはイコールB国家の誕生になる。例えば、東北地方を東北州とする場合、A土俵上の東北州と関東州、東北州と中部州とをハード的にそれぞれを区割りをしようとすると、境界線を何処にするかは利権がからみ絶対に決まらないと私は断言する。A土俵上の道州制はナンセンスである。ところがSNSを使ってソフト的に行えば、境界線は曖昧になり、それはハード的には日本であるが、ソフト的には東北という国家になるのだ。従ってハード的な都道府県の境界線は今のままでいい。その方が無駄な費用をかけなくて済む。この考え方は現実的であり、行政改革にも財政再建にも役立つと同時に、インターネット時代におけるソフト産業を育てる戦略にもなると思う。そしてこの考え方は世界各国にも通用できるため、日本国民が一体となって取り組めば、戦争の歴史から学んだEUがノーベル平和賞に輝いたように、世界の地域紛争を解決する一つの考え方として、日本がノーベル平和賞受賞の対象になることもあり得る。まさに今日の平和憲法の神髄であると思う。

 今回の選挙では、原発、TPP、消費税をキャッチフレーズに、何ら日頃の実践もないまま空虚な主張をしている候補者が多い。しかし選挙戦に入る前、某メデイアがアンケートをとったところ、国民にとって一番関心あることは、社会保障であるという。しかし実際の選挙戦では、あまりこの社会保障に関して、どの政党も触れていない。いや、仮に触れたとしても意味がない。解散に先立つ三党合意(民、自、公)により、この問題は社会保障制度改革国民会議(以下、国民会議という)に任せてしまったからだ。議員は自らの仕事と自らの存在を放棄してしまったと言っていいだろう。そこでこの国民会議のことは選挙後に述べることとし、ここでは選挙後に話題になりそうな憲法について私の考え方を書き、最後に、私が選ぶ政党と人について記す。

 今の日本国憲法は、アメリカから押し付けられた憲法であるため、憲法改正により、日本らしい憲法を新たにつくろうと主張する政党がいくつかある。確かに今の憲法の条文は英語を訳したものであり、日本語としては不自然な条文も多い。しかし中身は素晴らしいと思う。どんな世界情勢になっても、第9条(戦争の放棄)の精神は絶対に外してはならない。これは唯一の被爆国として、世界に訴えていく条文であると私は思っている。これを外したらどうなるだろうか。ドイツは第一次世界大戦の敗戦後、国民主権、生存権などを認めたワイマール憲法をつくり、世界各国に憲法の見本を見せた。しかしその後、ナチスの台頭により第二次世界大戦に至ってしまった。この歴史に我々日本国民は学ばなければならない。世襲議員であっても、まともな議員もいるかもしれないように、英語を訳した憲法でも、素晴らしいものは素晴らしい。むしろ、この核戦争の脅威の中で生きる身になっては、これを格好の武器として世界に働きかけるのが、日本の真の政治家であると私は思う。
 しかし、NPO法人などの民間の公共が著しく伸びてきた今日、A土俵、B土俵の考え方を採用し、その発展形態としてB国家の建設を認めるような憲法にするのであれば、私は憲法改正に大いに賛成する。そこでの憲法改正は、民間の公共によるヨコ社会の実現、掛け声だけでない真の男女共同参画社会の実現などを示唆する憲法改正になる。しかしこの場合は、地方自治法、社会福祉法、国会法など、多くの古い法律の変更が必要となる。そして更にこの場合、確固とした国家観に加え、SNSなどの活用による手法が必要になる。従ってそのような手法もないまま、中身のない憲法改正論者の言葉に踊らされないようにしなければならない。

 さて最後に私が選ぶ政党と人について述べよう。
そもそも今回の選挙は何を選ぶ選挙なのか、今でも私は不思議に思うばかりだ。肝心の社会保障については、国民会議に任せてしまった。これは、議員はいらないということでもある。私は、社会保障から全ては始まると思っているからだ。原発、TPP、消費税なども、上辺だけの主張ではなく、社会保障と関連づけて語って欲しい。全ては、市民の幸せづくりから発想すべきだからだ。しかし全政党にそれがないため、私が期待する政党はない。全く選挙に行きたくない気分である。しかしそうもいかないので、上記の憲法に対する考え方を吟味して政党を決めようと思う。
 次に人であるが、私が選びたい人は、夢があって正直な人がいい。「自分はこのような夢がある、そのためには、身近な問題をこのようにしたい、しかし、このような問題がありうまくいかない、みなさん、一緒に考えていきましょう」。このように言う候補者はいないものだろうか。しかしそれは難しいようだ。そこで消去法で選ぶことにし、次のような立候補者は明らかに避ける。議員を職業化している人、政党をコロコロ変える人、口だけで実行力のない人、市民の生活を知らない人、利権にからんでいる人、・・・。選ぶのが難しい。

 これでこのシリーズは終わるが、今は政治の過渡期であると思う。おそらく政治家自身も、あらゆる問題でどうしたら良いのか困っている筈。我々市民も迷っている。そこでここは、社会の仕組みを変えることではないだろうか。そのためには「決める政治(タテ構造のA土俵)と決めない政治(ヨコ構造のB土俵)を決める政治だと私は思う。H.U

(本記事はfacebookの私のウオールにも掲載しました)

2012/12/18
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2024/10/28