地方ほのぼの新聞
生活人語
不定期更新

11月27日(水)の予定 他(雑感)

(1)本日のカルチャーはレクダンスです。

(2)生活人語を更新しました。難しい内容ですが、私がNPO法人を設立した動機などを
   シリーズで纏めておりますので、少しでもご理解して下されば幸いです。
   この「地方ほのぼの新聞」と称する独自SNSを始めた頃は、毎日、投稿しておりました
   が、やがて加齢と共に週に1回、そして随時と、投稿回数が減ってしまいました。
   しかし、まだ、こうして投稿できることに感謝しなければならないと思っています。HU
   

2024/11/27
トピック
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新年にあたって

 「気をつけて帰ってね!」
 妻のこの言葉をあとに、娘たち親子が今朝、京都に帰った。この言葉のように、この言葉をあとに、私が郷里を離れたのは何年前であっただろうか。今は、実父母はいない。義父母もいない。天国で私たちの生き方、そしてこの社会をみている。我が家は再び妻との二人暮らしになった。淋しくなった朝食後、私は1月1日付朝日新聞の社説をまた探し、何度も読み返した。というのは、そこには、『「日本を考える」を考える』と題し、私が常日頃考えている内容、つまり、このグローバルな時代における国家について書かれていたからだ。そこでこの記事の最後の部分をそのまま書くと次のとおりである。

 「(国境を超える資本や情報の移動などによって)国家主権は上から浸食され、同時に(国より小さな共同体からの自治権要求によって)下からの挑戦を受ける」▼白熱教室で知られる米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は17年前の著書「民主政の不満」でそう指摘していた。これから期待できそうなのは、国家が主権を独占しないで、大小の共同体と分け持つ仕組みではないかという。▼時代はゆっくりと、しかし確実にその方向に向かっているように見える。「日本」を主語にした問いが的外れに感じられるときがあるとすれば、そのためではないか。▼もちろん、そうはいっても国家はまだまだ強くて大きな政治の枠組みだ。それを主語に議論しなければならないことは多い。私たち論説委員だってこれからもしばしば国を主語に立てて社説を書くだろう。▼ただ、国家以外にプレーヤーが必要な時代に、国にこだわるナショナリズムを盛り上げても答えは出せまい。国家としての「日本」を相対比する視点を欠いたままでは、「日本」という社会の未来は見えてこない。

 この社説を読んで私は自らの考え方、すなわち、A土俵(垂直思考)、B土俵(水平思考)の考え方に自信を深めた。これからの国家観は、A土俵とB土俵のバランスが必要と、13年前のNPO法人設立以来思っていたからだ。このためには、A土俵は現在の政治に任せるとし、B土俵は我々市民が民間の公共として、社会の担い手となって行動することが必要となる、というのが私の考え方。そこで新年にあたって、この市民の中の一人として、私も初心にもどり、NPO法人設立以来の夢に向かってまい進したい。H.U

(本記事はfacebookの私のウオールにも掲載しました)

2013/01/11
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『作品集 美の恵み...

撮影場所:
2024/10/28