11月27日(水)の予定 他(雑感)
(1)本日のカルチャーはレクダンスです。
(2)生活人語を更新しました。難しい内容ですが、私がNPO法人を設立した動機などを
シリーズで纏めておりますので、少しでもご理解して下されば幸いです。
この「地方ほのぼの新聞」と称する独自SNSを始めた頃は、毎日、投稿しておりました
が、やがて加齢と共に週に1回、そして随時と、投稿回数が減ってしまいました。
しかし、まだ、こうして投稿できることに感謝しなければならないと思っています。HU
ある在日中国人主婦の日記
[3月11日]
いつも通りに中国語を教えて帰宅した。午後2時45分、2階の書斎でパソコンを立ち上げてから、コーヒーを入れ、メールを開こうとしたまさにその時、本棚と机が揺れ始めたが、すぐに収まるだろうと思った。でも揺れは収まることなく、ますますひどくなり、本が上下に飛び跳ね、続いてばらばらと下に落ちた。ベランダの植木鉢も落下した。どうしよう?私は書斎のまん中で棒立ちになり、頭の中は真っ白だった。揺れが少し収まってから、やっと子供たちの事が頭に浮かび、階段を駆け下りてドアを開け、自転車に乗って学校に向かった。幸い、子供たちは同級生や先生たちと校庭に集まっていた。 無事でほっとした。 帰宅する途中、空がしだいに暮れていき、東北の方角は黒雲に覆われて真っ黒で、不気味な地獄の様だった。生きた心地がしなかった。子供を連れ帰ってから、主人の会社に電話をしたが、携帯も固定電話もまったくつながらない。ようやくメールで連絡ができた。今晩は電車が止まっていて帰れないから会社に泊まるという。宿泊場所はあるの?布団は?電車はいつから動くのだろうか?色々心配事が頭に浮かび、余震の揺れも酷くて一晩中眠れなかった。
主人が戻ったのは翌日の午後3時で、上野駅で朝から6時間待ってようやく電車に乗ることができたと言うことだった。駅に迎えにいくと、満員の列車から出てきた人でごったがえしていた。皆疲れきった顔をしていた。
[3月17日]
地震発生から1週間近くになった。原発事故によるパニックや流言飛語が万延して、 成田空港は帰国する在日外国人で満ちあふれているそうだ。日本脱出はやむを得ない選択といえよう。数多くの中国語のウェブサイトやタブロイド紙には扇情的な見出しが躍っているからだ。
「日本、最後の48時間」、「福島の50人決死隊」…
「子供を連れて早くアメリカに来なさい。 もし航空券が買えなければ、アメリカで買ってあげるから。」 親友の梅さんのアメリカからのメールが届いた。 世界を震撼させた東日本大地震、大津波と福島原子力発電所の事故が発生してから、梅さんはいつも遠方から見舞いと関心を寄せてくれた。 梅さんは、アメリカのテレビで放映された大地震と津波の画面を見て、少し前に見た映画「2012」を思い出したが、実際の映像は映画よりもっと恐ろしくて悲惨だと感じたと伝えてきた。
外を眺めると、風で塵が舞っていて、まだ冬枯れの地面を吹き荒れており、余震のたびにパソコンが机の上で揺れ動いた。 今まで感じたことのない恐怖を感じて、涙が止まらなくなった。
私も帰国したかったが、子供たちは行きたくないと言う。卒業式に参加しなければならないから。 親が子供といっしょに卒業式に出席するのが日本人の永い以来の身につけた習慣で、わが家もそうやって来た。もし中国だったら、放射能事故現場から約200キロしか離れていないわが市はもちろんのこと、もっと遠い所からでも、一目散に逃げるだろう。礼服や和服で身なりを整えて、敬虔に卒業式に参加するなど考えられないことだ。
こんな時に、落ち着き払って、卒業式をいつもどおりに行うとは。日本人がこのように沈着冷静なのには感心したが、なぜ儀式を大事にするのか不思議にも感じた。幾人かの日本人にたずねてみたが、習慣で皆そうしているから、自分もこのようにしなければならないということだった。調べてみると、こうした習慣は中国から来たようである。儒教が日本に伝わると、細かな規則や礼儀作法、行為規範なども民間に受け入れられた。1928年郭沫若が来日した際、下宿の主人が、唾が相手にかからないように右手を口に当てて話をするのでびっくりした。昔読んだ礼記の記述どおりだったからだ。中国ではとっくの昔に消滅した習慣だが。
ある本によると、孔子は、たとえば学生は制服がなければならないのは無論のこと、就任式には官服がなければならず、服喪は喪服を着なければならず、異なった儀式では正装も異なるべきだと述べ、服装について多くの要求をしている。日本人が儀式で専用の礼服を買い、それも1回しか使用しないのは浪費のように見えるが、これも儒教の影響なのだ。
卒業式で礼装し、着飾っていけば、心もちも自然に普段と異なってくる。結局卒業式は1つの時期の区切りを示すもので、美しく思い出となる日の区切りである。 同時にそれはまた1つの始まりである。 人の外見と心は一続きであり、このようにわずらわしいが価値があるものである。これが日本なのだ。
[3月18日]
神様の助けだろうか、すばらしい天気。余震と目に見えない核放射能の影響がなければ、普段と同様で、楽しく別れがたい思いに満ちていた。儀式が始まった。司会者は冒頭、「皆様、地震が発生した際は、必ずこちらの指示にしたがってください。子供が優先です。」と宣言した。
総ての儀式は荘厳な雰囲気で進められた。在校生の演奏する「威風堂々」行進曲にむかえられてスーツとネクタイを締め、胸に花を飾った男の子と和服やスカート姿の女の子が入場し、礼服を身に着けた父母と先生が拍手するのが眺められた。平時だったら本当にすばらしい光景なのだが、今は大地震が1分後にまたやってくるかも知れないし、原発が今爆発するかも知れない状況である。そう考えたら、急に光景が物悲しく見えてきて、どういうわけか、映画「タイタニック号」の沈没寸前、船上で楽師たちが礼装して、優雅で、平静に楽曲を演奏している場面が脳裏に浮かんだ。映画をみた時は監督のすぐれた演出だと思っただけだったが、今や私たちも楽師たちと同様に生命の存亡の時期に遭遇している。ひょっとしたら、私たちも優雅な音楽を聴きながら最後の時をむかえるのだろうか。可愛い子供たち、まだ人生の序幕が開いたばかりだというのに。私は心の中で無事を祈って黙祷した。
卒業式は幸い何事もなく進行した。最後に小学生が全員で歌う「歌・旅立ちの日に」(小嶋 登:作詞 坂本浩美:作曲)が体育館内に響き渡った。
「今 別れの時 飛び立とう 未来信じて はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に・・・」
上図:入学式
下図:卒業式
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