11月25日(月)の予定 他(雑感)
(1)本日のカルチャーは健康体操ですが、先生のご都合により、中止になりました。
(2)一昨日の土曜日、某音楽教室の発表会があり、私も20周年記念自作ミュージカルを公演
したおおたかの森ホールで独唱をしてきた。歌った曲は「わすれな草をあなたに」と
「ここに幸あれ」。自己評価は「まあまあ良かった」と思う。今、私のブログ「生活人
語」を時々更新しているが、上記ミュージカルでも訴えたように、「ここに幸あれ」を
個人レベルと国家レベルで書いてシリーズの終わりとしたい。HU
或る中国人から・・・
中国人Aさんが、介護の新しいご利用者になった。私共のNPO法人がボランティアとして中国語学習を行っているため、地域包括支援センターから紹介があったからである。Aさんの事をここで詳しくは書けないが、私はAさん、そしてその息子さんと接し、中国人のイメージが変った。いや、変ったというよりも、人間一人ひとりは、何処の国の人であろうと、個々に形成されると思ったのである。Aさんは気遣いがあり穏やかで優しい人であった。息子さんもAさんに似ていて、仕事の傍ら、父であるAさん、妻(出産したばかり)、そして、ガン手術を終えたばかりの母(Aさんの妻)のために頑張っていた。そんなAさんの介護のため、ケアマネもヘルパー(3名)も中国語の教科書を買ってきて勉強を始めた。これからは、この分野もグローバルな時代になるだろうと私は思った。
先週末、NHK・BSでドラマ「大地の子」(故山崎豊子作)の再放送を観た。日本敗戦後、中国で戦争孤児となり、厳しい環境の中、自分を守り育ててくれた中国人の両親に感謝しながらも、日本に住む血の通った父親と会い、生みの母親(死亡)の写真を見て涙を流す主人公。私はこの場面を観て目頭が熱くなった。一方、育ての父親(中国人)が、上記のAさんのように思えて複雑な気持ちになった。一緒にテレビを観ていた妻が、国に翻弄されながら生き続ける主人公の姿を観て「国って何だろうね」と言った。グローバルな時代になると、尚更、国について疑問に私も思う。そこで今こそ我々市民一人ひとりが、国について真剣に考え直す時期にきているのかもしれない。問題はこの時「国があって我々がある」のか「我々があって国がある」のかであるが、今の政府は、前者が強過ぎるように思うのだが・・・。H.U
(本記事はfacebookの私のウオールにも掲載しました)
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